オルフェーヴルはなぜ凱旋門賞(第91回・2012年10月)で負けたのか
オルフェーヴルが凱旋門賞で勝てると、昨晩予想しました。
しかし残念な事に、最後に差し返される形で惜しくも2着。
まさかオルフェーヴルが負けるとは思いませんでしたが、勝負の世界は結果が全てなので受け入れるしかありません。
では何故オルフェーヴルは負けたのか?
僕なりに考えをまとめます。
まず第一に挙げられるのは、アヴェンティーノのアシストに乗って直線追い出した時に、スミヨン騎手が早く仕掛けすぎたこと。
実はヨーロッパの競馬を見ていて思う事が2つあります。それはスタートがゆったりしているのと、騎手が追い始めるのが早いことです。
日本の競馬に比べると時計が掛かるのは芝の違い以外に、実はこの二つが影響しているようにも感じます。
特に追い始めるのが早いのは、馬がトップスピードに乗るまでに時間がかかるということの証。
スミヨン騎手にしてみれば後方からあの位置で追い出せば、イイ感じに先頭に立って押しきれると思ったはずです。
ところが予想以上に先頭に立つのが早く、結果的にはもたれたのか?馬場の良い内を狙ったのか?先頭に立って内に切れ込むコース取りになりました。
このコース取りが、敗因の2つ目として考えられます。
Mr.サンデーというテレビで見ていたのですが、勝った馬(ペリエ騎手騎乗のソレミア)の前を横切り最後は内外が逆になっています。
人間でもそうなのですが、馬も自分の進路に別の馬が割って入ると『カチン』と来るものなのか?どうやらソレミアの闘争心に火をつけてしまったようです。
そして最後の敗因、オルフェーヴルが本当に勝てなかったのは『ステイゴールドの遺伝子』だったように思えてなりません。
サンスポ掲載のコチラの記事によると、ペリエ騎手が【「追い抜ける確信はなかった。オルフェーヴルはトップに立って(全力で)走るのをやめた」と首をひねっていた。】と書いてあります。
実はオルフェーヴルの父親であるステイゴールドは、当時日本国内ではテイエムオペラオーの壁に阻まれ、G1では常に脇役の状態。
海外ではG1を取ったのですが、日本で負けていたレースはどれも『詰めの甘さ』が敗因と言えるレースばかり。
最近のレースでオルフェーヴルが負けたといえば、阪神大賞典と春の天皇賞です。
阪神大賞典は外に逸走してしまい、途中から追いかけるも最後はギュスターヴクライをかわせずに2着。
天皇賞ではメンコを被せられ、ハミを換えられて制御されすぎて走る気持ちをなくして凡走でした。
天皇賞は彼本来の力を出せない状態での負けなので問題なしとして、問題なのは阪神大賞典のゴール前。
レースに戻った3,4コーナーからは勢い良く捲ったのですが、最後はバテたと言うよりギュスターヴクライに抵抗されて競り負けた感じにみえました。
3冠レース(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)も2011年の有馬記念も2012年の宝塚記念も、一気に突き抜けるレースで、他馬を競り落としたという内容ではありませんでした。
凱旋門賞の前哨戦になるフォア賞もインコースから抜けだして勝つ展開で、並走して相手を競り落とすレースでは無かったのも確か。
実は今まで気付かなかったこと、オルフェーヴルの弱点は詰めの甘さだったのかもしれません。
まさか大一番の凱旋門賞でこの弱点が露呈して勝つことが出来ないとは、思ってもみませんでした。と言うよりも、『詰めが甘い』などとは思ってもいなかったことです。
ディープインパクトが負けた時もそうでしたが、凱旋門賞を勝つためにはゴール前できっちり差しきるレースをしないといけないということのようです。
ナカヤマフェスタのように競る展開では、何が起こるか分かりませんし…。
もしくは影を踏ませないような逃げ馬、かつてのカブラヤオーのような馬でも出てこない限り、凱旋門賞を勝てないのかもしれません。
何れにしても勝ちタイムは2分37秒68ですから、日本の中長距離で強い馬には難しさがありそうです。
瞬発力の持続と言ってもそれは日本の馬場でのことであり、ヨーロッパの深い芝では持続出来ないのかもしれません。
オルフェーヴルが来年の凱旋門賞にチャレンジするのかは分かりませんが、日本では今ひとつ実績が上がらないオープン馬辺りが、以外にも凱旋門賞を勝てる馬なのかもしれませんね。
Posted by taketoshi : 14:28 | Comments (0) | Page Top ▲
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